今日の本読み

高見順【敗戦日記】87ページより

 銀座と言えば、ここへ来るとき、日比谷映画劇場の前を通つたが、そこでやつている東宝映画の「海の薔薇」という衣笠貞之助演出の間諜映画を見ようという人たちが物すごく長い行列を作つていた。それを見た時は、そこからそんなに遠くない神田でこんな悲劇が起きていようとは夢にも想像できなかつた。―東京は広い。東京の人間は多い。
 駿河台下に出た。左側はずっと焼け、右側は線路沿いのところだけが焼けている。左側も、駿河台下に出る手前の数軒は、うまく焼けのこつていた。幸運な感じというより、不思議な感じだつた。
 お茶の水駅へ急ぐ。途中、何かの配給で、おかみさん達がニコニコ顔で家から出てくるのを見たが、惨憺たる悲劇の傍で、常に変わらぬ生活がやはり行なわれているのは、―頼もしいことには違いなく、それでなくては困るけれど、またそれが当り前のことでもあるのだが、妙な感じで強く心にきた。
 東京駅へ出る。途中、神田駅から下を見ると、右側だけでなく左側もひどくやられている。客の一人が「この神田が、まあ大統領でしょうね」と言つた。一番ひどくやられたところという意味なのだろうが、変な言い方もあるものだと思つた。そしてその客はつづけて言つた。「上野も相当です。それから浅草。―松屋から仲見世まで、ずつとやられています」


 昭和20年2月27日の日記である。この日の今を伝えている。このページを読むと人間という生物の不思議な感覚が凝縮されている。生きていくということ、娯楽への欲望もあること、どれもこれも人間だからなのか。どこかの国で起こっている現在とダブって見えてきて、戦争とは悲しいことだけなのだと改めて思ったりする。