雨、本降り

 購入本
  《Og》
   三浦しをん     【しをんのしおり】新潮文庫
   車谷長吉      【盬壺の匙】新潮文庫
   ジュール・ヴェルヌ著 鈴木啓二訳【八十日間世界一周岩波文庫
   米原万理      【パンツの面目ふんどしの沽券】筑摩書房
   小林信彦      【超人探偵】新潮社



  《O・S》
   吉田秀和      【現代音楽を考える】新潮社
   思潮社編      【現代詩手帖1983.6】思潮社
   思潮社編      【現代詩手帖1995.3】思潮社
   三國一朗      【肩書きのない名刺】自由現代社
   和田矩衛編     【現代映画講座】創元社




 今日も雨で気温も低い。厚手のシャツを着て出かけるがそれでも寒い。西荻窪の駅のホームに上がったら、直ぐに電車がきた。荻窪で降りて、バス乗り場に行ったら、バスがいて乗ったら直ぐに発車した、何かうまく流れていく。帰りは、バスが見えていたのに発車してしまう。そんなにうまくはいかないと思ったら、直ぐにバスが来た。何かと不思議とスムーズな一日だった。
 世田谷文学館の「植草甚一/マイ・フェイヴァリット・シングス」を見に行く。存在感がある人だ、身長151か、パワフルという言葉が似合う感じが溢れている。文字もデカイ。
 【現代詩手帖1983.6】は、寺山修司追悼が載っている。追悼のなかで三上寛さんのがいい。

 

寺山さんがいなければ、僕は東京には来ていなかった。寺山さんは僕を東京までつれてきてくれた人だった。
 人間は死ぬものだし、誰でも「死なない」というわけにはいかない。けれど僕にとって人間の死というのは、最後にして最大の、その人の「表現」ということだ。寺山さんが死んで、何を僕らに喋っているのか、そのことをこれから考えていきたい。長い時間かかるかもしれないし、また、何んでもない風な処で、スーッと解かってしまうかもしれない。
(本文より)