角田光代【さがしもの】

 角田光代【さがしもの】新潮文庫が安いコーナーにもう置いてあったので買う。昨年11月に発行されている。単行本のときは、【この本が、世界に存在することに】の題名でメディアファクトリーから出て、楽しく読んだことを思い出す。それでも何で題名を変えたのだろうか。それと、あとがきを「人間は本を読むために生まれてきた動物」と題して、岡崎武志さんが書いているのだ。下記は単行本を読んだときの感想文だ。


 【この本が、世界に存在することに】角田光代著 メディアファクトリー
 本に纏わる9編からなる短編集。
 読書をしている割には、自分にとっての本は何んだろうか、と言うのは書けないものだ。ここでいう本の定義をどこにするかで大分違ってくるような気がする。専門書・趣味本などでは、必然性が伴うものだ。だが、小説などは、これを読む、読まないは、個人の自由だし、それで明日が変わると訳でもなく、心うちがちょっとだけ豊になるのを感じるほどのものかも知れない。どんな人間だって、生きている間に本・小説に蜜月になるときが必ずあると私は思うが。それが、人生に思い悩むときか、希望に溢れるときかで、本・小説の持つ意味合いが違ってくるだろう。読書も不思議なもので、じっくりと文章を読んだもの本は、いつまでも心のどこかに住み着いているが、だらだらと読んだものは、どこにも何も残っていない。読書も正直なものだ。では、この本はどうかと言うと、気にいったところを2回読み返したのだから、どこかに残るのだろう。「ミツザワ書店」「旅する本」「手紙」「さがしもの」など、本と人間の位置関係が巧く、真面目な気持ちで読む時間をもった。特に「ミツザワ書店」が良い。店主・おばあさんの姿が目に浮かぶのだ。短編集のいくつかは、カップルと本とを位置づけている物語だ。が、筆者のあとがきに書いてある、スポーツする、ゲームをする、レストランでおいしいものを食べるなどなどの行為と本を読む行為とはすこし特殊で個人的であると書いてある。それは、だれかと一対一で交際するのと同じだと書いている。どうも、この最後の部分に引掛かってしまうのだ。




さがしもの (新潮文庫)

さがしもの (新潮文庫)

  購入本
  《Og》
   角田光代       【さがしもの】新潮文庫
   成田一徹       【TO THE BAR】朝日文庫
   ヘンリー・ミラー 河野一郎訳 【南回帰線】講談社文芸文庫
   槇野修        【落語で江戸を聴く】PHP研究所
   坂野信彦       【古代和歌にみる字余りの原理】星雲社




  《O・S》
   山口昌男編      【知の狩人】岩波書店
   山口昌男編      【二十世紀の知的冒険】岩波書店